お食い締め

 新生児は、生後100日頃に乳歯が生え始める。
 その頃「一生涯、食べることに困らないように」との願いを込めて、父母はわが子に食事を摂る真似をさせる。

 「お食い初め
 昔から子供の成長を願って行う儀式には、家族の深い思いが詰まっている。

 嚥下反射が衰え、誤嚥を繰り返す。
 胃ろうを設け、栄養を与えたものの、もう寿命がみえた。
 せめて最後に好きな物を食べさせてやりたい。
 家族はそう訴えた。

 医師も看護師も反対する。
 しかし、もう命の限りが見えたのだから、最後の望みを叶えたい。

 ある者は、酒を選んだ。
 また、ある者は寿司を選び、そして焼肉を望んだ。

 嚥下行動には、まず飲み込みやすい食塊形成が必要だ。
 肉であろうと、寿司であろうと同じ事。
 唾液は特に重要だが、唾液腺のうち食塊形成に最も必要な物は耳下腺である。

 次に強く飲み込むこと。
 そのために、喉仏をあげさせる。
 喉頭蓋は従来気管にふたをすると思われていたが、今は食塊を左右に分けるだけの働きだとわかってきている。

 高齢者の喉仏に手をあてがい、上に引き上げ、耳下腺を挟む。

 「ゴクリ」

 食べられないと思われた高齢者が、ゆっくり最後の食事を飲み込んだ。

 「お食い締め」
 最後に自分の好きな物を食べさせる。
 お食い初めとは正反対だが、家族の思いに変わりはない。
 そして、それを機に余命があと1週間と言われた患者が、半年、1年と寿命を延ばす。

 牧野日和氏。
 言語聴覚士で、歯学博士。
 彼が勧める「お食い締め」

 実践なき理論は「無力」、理論なき実践は「暴力」

 人が真に望むのは生き続けることではない。
 自分らしく暮らし、そして最期を迎えること。

 在宅医療。
 寄り添うために考えねばならないのは、いのちの”量”ではなく、”質”なのだと感じる。

ヘイフリックの限界

 私の好きな江戸落語の噺の一つに「死神」がある。
 遊んでばかりで借金を重ね、嫁にまで愛想を尽かされた男が、死に場を求めて探している間に”死神”に呼び止められる。
 趣味が人助けである”死神”は、男に治る人間と死ぬ人間の見極め方法と、病気を治す呪文を教え、「医師は儲かる、医師になれ。」と勧める。「但し、決して死ぬ人間だけは治してはならぬ。」と言い残す。
 言われるままに医師になり、大儲けをした男は、ある時金欲しさに死ぬ人間をも治してしまう。
 言いつけを守らなかった男の前に、再び死神が現れ、男を地の底へと連れていく。
 そこには、今生きている人の命が、蝋燭の灯として表わされている。
 男の命を表す蝋燭は既に極めて短くなっている。それは、死ぬべき命を救ったために、その命と交換され、今まさに消えようとしているのだった…

 このように人の命が蝋燭の灯に例えられ、少しずつ短くなるように、細胞分裂も限界があり、約50〜70回で止まるといわれている。これを発見者の名にちなんで「ヘイフリックの限界」という。

 ヘイフリックの限界は、分子生物学が発達した今では、染色体末端にあるテロメアに起因することがわかっている。ヒトの細胞が分裂し、DNAが複製されるたびに、染色体末端にあるテロメアが短じかくなり、ある長さ以下になると細胞分裂が止まる。しかし、科学として長さが短くなる事が実証される前に、人は蝋燭の長さで既に現実を予見していたようだ。
 その比喩の見事さに、不思議なものを感じてしまうのは、私だけなのだろうか。

 お正月に合わせて、サイエンスと落語の融合話のお粗末…

前夜

 *前夜
 血行不良で紫色に腫れあがった足。その処置のために入院していた在宅患者が、新年を前に退院してきた。

 認知症のために毎食後は飲めない、一包化しないと飲めない、粉薬も飲みにくく、要介護2の独居生活者だと紹介状に記して送り出していた。

 退院したその日、様子を見に先に行っていた医師から連絡がきた。
 退院時処方が出たが、これでは飲めないからなんとかするようにと。

 すぐに訪問して驚いた。
 毎食後の薬がある。
 認知症の薬は同容量の錠剤があるが、粉薬で処方されている。
 一包化はされていない。
 どうやら、紹介状の記載には目がいかなかったらしい。

 医師から病院に、毎食後の薬は1日1回に変更する旨連絡を入れてもらい、薬は一包化し直す。

 病院で行われる医療がある。
 そこには看護師がいて、きちんと服薬介助をしてくれる。
 食事も栄養士が計画して提供してくれる。
 患者を支え、癒すための非日常がある。

 しかし彼らが戻る我が家には、時に支える手が必要であっても、差し伸べられない日常がある。
 認知症や独居を含め、戻りたかった我が家には、自分自身で暮らしを作る責任が謳われる現実がある。

 薬を窓口で渡すこと、その先で患者自身がどのような暮らしをしているか、それによっては何が必要なのか。
 それを考えれば、薬の選択も、調剤方法も、考えることはいくらでもある。
 目の前のことだけでなく、その先を考える。
 それは何も、日常の仕事だけでもあるまい。

 在宅医療も、薬薬連携も、今はまだ”前夜”なのかもしれぬ。
 患者の現実を伝えるために、今年は今までやらなかった薬剤師の前で話してみようと思った。

 さだまさしの唄う”前夜”を聞きながら、ふとそう思った。
 

ある独居老人の現実

 私が関わる在宅医療は、概ね高齢者が独居、或いは夫婦二人で自宅に住んでいるものばかりになっている。
 その理由の一つは、所謂施設が在宅医療を必要とする高齢者が多く住んでいる理由から、効率良く訪問できるのに対し、個人宅は非効率な為、多くのチェーン薬局がフィーが割が合わないと嫌がる現実にある。
 しかし、医療人が持つ倫理性・公益性から考えれば、必要なサービスを均一に提供するのは当然のこと、経済的合理性と公益性の両面を実現する経営を意図しなければ、薬局が存在する価値はない。

 ある金曜日の夕刻、一人の高齢者が住む自宅に、薬を持って訪問した。

 「こんにちは。暑いけどしんどくない?」
 「あら来てくれたの?ゴメンネ、いま髪を整えているの。もうすぐデイサービスに行かないといけないから。」

 今は夕方。デイサービスはもう終わっているし、彼女が行くのは明日である。

 「デイサービス明日だよ。それにもうすぐ暗くなっちゃうよ。」
 「あら、もう夜なの…。
 …私ねえ、鈍やから、今からやっとかないと、間に合わないわ。」

 少しずつ昔とは違っている、記憶が失われてゆく。
 つじつま合わせの作話は、自分への誇りを失わぬ為の方便である。
 誰がそれを責められようか。
 取り繕う言葉の中には、現状がわかっていなかった事への照れと哀しみがあるように映った。

 ”家での暮らしが一番。”と考える高齢者が多くいる中、彼女は最近ケアマネージャーに施設を探してほしいと依頼した。
 一人で暮らす事のさみしさ、不安、多くのものが入り混じった結果の事なのだろう。

 厚労省が在宅医療を進める為に縦割りの在り方を止め、医政局を中心とした横断的な組織の改編を進め出したという。

 しかし、現実を見れば、政治によって作り出された核家族化が、高齢者に何をもたらしているのかを振り返る必要がある。
 現実をまっすぐに見る目を持つ度量を望みたい。

 ある老女の死

 齢90を越える老女は、早くに主人を亡くし、独りで暮らしてた。
 確かに年相応の認知障害・運動障害も出てきてはいたが、金銭感覚も充分あり、食事や買い物介助で暮らす事が出来た。
 若い時から自立した女性で、土地や自宅の資産もあり、現金も十分蓄えていた。
 薬剤管理で自宅を訪問しながら、昔話や日常生活を聞く事で、彼女の暮らしを支える支援をしていた。

 彼女には遠い身内がいた。
 時折老女の家を訪ねる、そんな関係だったが、老女が歳を重ねるにつれ、介護保険の所謂キーパーソンという立場になった。

 独居で暮らす患者本人に認知障害が生じた場合、成年後見人制度という問題が上がる。
 彼女にも同様の問題が、本人の知らないところで進んでいた。

 ある時、裁判所が状態のチェックという形で彼女の自宅を訪問し、制度の説明をした。
 静かに聞いていた、そう聞いた夜から、彼女は眠らなくない、食事も摂らなくなった。
 ケアマネやヘルパーさんからすぐに連絡が来て、自宅へ飛んで行った。
 しかし、彼女にはもう私を認識する事が出来なくなり、中を見つめ、常に何かを語り続ける。

 医師に連絡し、すぐに入院の手続きを取ったが、それから2週間後、彼女は亡くなった。

 歳を重ねて暮らす時、十分な蓄えが必要である。
 しかしたとえそれがあったとしても、本人の知らない制度施行では、逆に命を縮める現実もある。

 医師との薬剤共同治療に邁進する事も薬剤師には必要だろう。
 しかし、患者の立場に立てば、患者の思いを代弁するのは誰の仕事なのだろうか。
 きっと誰の仕事でもない、関わる者全ての者に課せられた仕事の一つと私は思う。
 目を背けてはならない現実、考える事に怯んではいけない現実がある。

映画「ももへの手紙」


 瀬戸内海に浮かぶ汐島。呉からこの島に向かうフェリーの甲板の上で、少女は母と一緒に周りの風景を見ているのだが、その表情はあまりにさえない。
 そんな風情とは裏腹に、彼女は四つ折りにした一枚の紙を固く握りしめている。
 それは、「ももへ…」と書かれた一枚の便箋。ただし、その先に続く文字はない。

 あの日、父へのプレゼントとして内緒で買った3枚のコンサートチケット。
 当日、父は急な仕事で出張に出かけることに。
 「もう帰ってこなくていいから。」
 怒りにまかせて放った言葉が、父との最後の言葉になるとは…

 フェリーが浮かぶ瀬戸内海の空は、青く青く澄んでいる。
 そんな空から不思議にも、一つ、二つ、三つと水の滴が落ちてくる。
 その滴が少女の髪の上で、次々に弾かれた後、甲板に落ちるのだが、不思議にも生き物のように動いていく。

 「ももへ…」と書かれた便箋の続きには何が書かれていたのだろうか。
 三つの滴は、何なのだろうか。
 ももを待つ汐島は、彼女に何を与えてくれるのだろうか。

 先に逝った人と残された人。
 別れは辛くとも、決して繋がらぬ想いはないという事を、優しい画風でこの映画は語りかけてくれます。

独りで生きる。

 「あのお寿司変わってたねえ。人参太いのが丸ごと入ってるもん。」
 「そやろ。干瓢と一緒に巻いてん。胡瓜の漬物丸ごと一本もあったやろ。」

 晩御飯の足しにと、時々おかずを作っては持ってくる親父は86歳。
 目も耳も衰えておらず、最近はカメラに凝って平日はあちこちに旅歩き、写真を撮ってはコンピューターで画像処理をしている。
 日曜日は朝から競馬の予想。
 ネット回線を引き込んで、自宅で馬券を買いこんで一喜一憂している。

 妻を18年前に亡くしてからずっと独り暮らし。
 年々若くなる服装に、当初眉をひそめる事もあったが、最近はその若さに尊敬の感を抱き始めている。

 少し前、ある所で、在宅で療養する高齢者の暮らしをいくつか書かせて頂いた。
 薬局の店頭では見る事のない、ちょっと哀しく、そして切ないその暮らし。

 しかし、そういう生活とは異なり、独り暮らしを謳歌する高齢者の方が数多くいる。
 子供たちとは生活スタイルも、食事の嗜好も異なる暮らし。
 ならば、同居して互いに少しずつ気兼ねして暮らすより、別々に住んで自由に暮らす事の方が、尊厳を守る事が出来る。
 
 実は欧米では、老いても子供に頼らず、夫婦だけで、或いは独りで暮らすことが多い。

 そして、そこにはそれを支えるシステムがあり、民族性がある。
 例えば、旅行して土産を近所に配る習慣は日本は50%以上あるのに対し、米国は28%。
 しかし、隣家で急病になった人を診療所に連れて行くとなると、日本が8%に落ちるのに対し、米国は39%に上昇する。
 障害者へのサポートも、例えば盲目の人を駅で支える人など日本では非常に少ないが、米国は当然となる。
 日本では時に生活保護者や独居老人などの餓死事件を聞くが、米国では数千万人の貧困者に対してフードスタンプ(150ドル分の食糧クーポン)が支給されると同時に、NPOが一時宿泊や医療ケアを支援する。

 つまり、健康時では問題にならないが、病気や貧困など支援を必要とする時に、この国には支えるシステムがない。

 今年から、地域包括ケアシステムが少しずつ動き始める。自助・共助・互助・公助と名づけられたこの制度の”助け合い”が、どのように作られるのか。

 少なくとも”独りで生きる”事ができる地域を作る為には、私たちが変えなければならない生き方がある。