緩和ケアとNBM

厚生労働省は、「ガン対策の為の戦略研究」の一環として「緩和ケア」を普及させる為、数千人規模のガン患者を対象とした大規模研究を始めるそうです。
拠点病院を中心に早期ガンにも積極的緩和ケアを実施したり、自宅で最後を迎えたい人への在宅での緩和ケアを予定しており、2010年までに緩和ケアのモデルを構築するとの事です。
日本の医学は今までパターナリズム(父権主義)を中心にしてきました。これは「医学の知識の無い患者より医師の判断の方が上だから、医師の言うとおりにする事が患者の利益になる」というものです。
しかし、アメリカで「患者の権利章典」が1973年に宣言され、ここでプライバシーの尊重・インフォームドコンセント・情報の公開などが主張されました。
ここから、日本の医療も少しずつ変化が生じ、今ではインフォームドコンセント(十分な説明に基づく同意)を文書で行うことは普通の事となりました。そして、EBM(Evidence based medicine:根拠に基づく医療)やガイドライン作りも活発になり、患者に治療法を伝える医療がなせれるようになりました。
・・・・ただインフォームドコンセントにしても、果たして患者と医師が対等の立場かというとそうとはいえません。治療法の知識の全てを患者には伝えきれないからです・・・・・
そして、今までの医学には無かった”死”を考える医療の必要性も考えられるようになりました。これが、緩和医療です。
先日3月29日、TBS系「情熱大陸」で”緩和ケア医:林章敏氏”が紹介されました。                             http://www.mbs.jp/jounetsu/2007/03_25.shtml
林医師は緩和ケアを「生きることと死ぬ事を支える医学」と述べられています。
今までの医学は患者を如何に長く生かすかばかりが中心でした。死を受け入れ何もしない事は医学ではないと考えられていたのです。しかし、これ以上の回復が見込めず意識の無いまま患者を延命装置につなげる事、つまり「1日でも長い命に価値がある」という考え方が、患者や家族の人生に当てはまらなくなる時は実際にあります。特に尊厳死を求め、その意志をリビングウィルに書き留めた患者にはなおさらです。
実は尊厳死は”死に方"を選ぶものではありません。”死”が訪れるまでの患者自身の”生き方”を選ぶものなのです。だからこそ、痛みの苦しさを麻薬などの薬で抑え、患者に命ある間に自分にあった生き方をして頂く緩和ケアには意味があります。
林医師は、病棟を椅子を持って訪問し、患者のベッド横で目線を合わせ、「なにか気がかりな事はないですか。」と問いかけ、患者一人ひとりと40〜50分話をします。手術や薬ばかりが治療ではありません。対話で心を開かせ、想いを吐露させてあげる事も医療なのです。

  • 薬剤師としての緩和ケア

医師の処方に基づき、私達はデユロテップやオプソ等の麻薬を持って患者様のお宅に訪問します。痛みの強さや副作用の有無を確認し適正な用量を考えながら、患者様や家族の方とお話します。それは時に1時間近くになります。対話をする事、患者様の想いを聞く事が、医療の姿だと思うからです。
大学の臨床心理学の聴講をしていた頃があります。実際にうつ患者のカウンセリングに立ち会った時、隠している心の闇を見た気がしました。その闇を自らが吐露した時、実はうつは快方に向かうと教えられました。
医療も同じです。インフォームドコンセントEBMも実は医療者と患者の間の”対話”(narrative)が無ければ意義はありません。薬剤師も薬を渡し、副作用・相互作用をチェックするだけを患者様から求められているわけではないと思います。
Narrative based medicine(NBM:対話を通じて医療者と患者をつなぐ医療)は今求められている医療の一つの型だと思います。