”こうのとりのゆりかご”運用1ヶ月

 昔から、「経済的貧困や社会的理由で子供を育てられない」故の”子供を捨てる”事例はたくさんあります。
 五月に熊本で設置された”こうのとりのゆりかご”(別名:あかちゃんポスト)が、十日で運用1ヶ月を迎えました。
 設置前、政府関係者(特に安倍首相)は、”子捨て”を助長するとして遺憾の意を表明していました。(持論の”美しい日本”にはそぐわないのでしょう。)
 一方、設置する慈恵病院理事長:蓮田太ニ医師は「助けられる命があるなら、やるべきです。」と言っていました。
 十日、日本経済新聞に「赤ちゃんポスト運用1ヶ月」という記事が掲載され、蓮田医師より「救われた命があり、設置には意義があった。」というコメントが掲載されています。

 設置当日、3歳の男児が預けられました。その他にも東京ではこの1ヶ月で生後間もない女の子の放置、大阪でも1歳男児をバイクのヘルメット収納スペースに入れて死なせる等、親の生み捨て・子供への乱暴など過去には無かった社会的変化が見られます。
 近頃は”命の大切さ”や”生きる事、働く事の意味”など考えない、考えようともしない人たちが多くなり、セレブへの羨望・金へのあくなき欲望が膨らんでいるように思えます。
 「こうのとりのゆりかご」は、首相の言うように、生みっぱなし・無謀な性行為を助長するかもしれません。
 歯止めとなっていた妊娠が、「ポストに入れりゃあいいじゃん!」的発想で、歯止め足りえなくなるかもしれません。
 それでも生まれてくる”いのち”に罪はありません。
 救える”いのち”があるのなら、救える環境があるのなら、救おうとする人達は少なからず社会にはいるのです。

 要は、”いのち”へのひとの信念・生き方・宗教観の問題です。
 社会的な事を考えると問題があるかもしれませんが、ひとつの”いのち”の為には、何もしないより何かをする事の方がよほど有意義です。

 ”美しい日本”を唱える人が 、”ナントカ還元水”を”法的に適切に処理されているから問題ない”と言い、”5万円以上に領収書を添付すれば正しく会計処理はできている”と言い張ります。一般の社会の会計処理では、1円からでも領収書は取るにもかかわらずです。
 法など、人が作った手段に過ぎません。その法に、善悪が委ねられるものなのでしょうか。
 善悪の基準は、自分の”内”にあります。
 だから、医療者はいつも自分の心に問うのです。”間違っていないか””患者の身になって考えたか”と。

 ”こうのとりのゆりかご”は、”いのち”について社会が考える良い機会だと思います。