「私」をもっとよく見て!・・認知症患者さんの伝えたい事

 製薬会社のエーザイファイザーが出している”ケアスタッフのためのアルツハイマー病ケアの要点”に認知症の患者さんが伝えたい事として”ある老婦人の手記”が掲載されています。
 私が在宅医療を行っている患者様にも軽い認知の方がいますが、実際どんな想いで暮らされているのか、本当の事を窺い知る事はできません。しかし、この手記を読んで、自分の中に確かに感じるものがありました。このブログを読まれる方にもどうか読んで頂きたい、何かを考えて頂きたい、そんな思いで書き写します。

認知症とみなされていた老婦人の遺品の中から見つかった入院中に綴っていた詩)
 「目を開けてよ看護婦さん」 
 何が見えるの、看護婦さん、あなたには何が見えるの。
 あなたが私を見るとき、こう思っているのでしょう。
 気難しいおばあさん、利口じゃないし、日常生活もおぼつかなく、目をうつろに彷徨わせて、食べ物をぼろぼろこぼし、返事はしない(略)おもしろいのかおもしろくないのか、貴方の言いなりになっている(略)
 これがあなたの考えている事、あなたが見ている事ではありませんか。
 でも目を開けてごらんなさい、看護婦さん、あなたは私を見ていないのですよ。
 私が誰なのか教えてあげましょう、ここにじっと座っているこの私が。
 あなたの命ずるままに起き上がるこの私が(略)
 あなたの意志で食べているこの私が誰なのか。

 私は十歳の子供でした。父がいて母がいて、兄弟、姉妹がいて、皆お互いに愛し合っていました。
 十六歳の少女は足に羽をつけて、もうすぐ恋人に会える事を夢見ていました。
 二十歳でもう花嫁、私の心は躍っていました。
 守ると約束した誓いを胸に刻んで、二十五歳で私は子供を生みました。
 その子は私に安全で幸福な家庭を求めたの。
 三十歳、子供はみるみる大きくなる。
 永遠に続くはずの絆で母子は互いに結ばれて
 四十歳、息子達は成長し、行ってしまった。
 でも夫はそばにいて、私が悲しまないように見守ってくれました。
 五十歳、もう一度赤ん坊が膝の上で遊びました。
 私の愛する夫と私は再び子供に出会ったのです。
 
 暗い日々が訪れました、夫が死んだのです。
 先のことを考え、不安で震えました。
 息子達は皆自分の子供を育てている最中でしたから。
 それで私は、過ごしてきた年月と愛のことを考えました。

 今私はおばあさんになりました。自然の女神は残酷です。
 老人をまるでばかのように見せるのは、自然の女神の悪い冗談。
 体はぼろぼろ、優美さも気力も失せ
 かつて心があったところには今では石ころがあるだけ。

 でもこの古ぼけた肉体の残骸にはまだ少女が住んでいて
 何度も何度も私の使い古しの心をふくらます。
 私は喜びを思い出し、苦しみを思い出す。
 そして人生をもう一度愛して生き直す。
 年月はあまりにも短すぎ、あまりにも速く過ぎてしまったと私は思うの。
 そして何物も永遠ではないという厳しい現実を受け入れるのです。

 だから目を開けてよ、看護婦さん。
 −目を開けて見てください
 気難しいおばあさんでなくて、「私」をもっとよく見て!

 私達薬剤師が日頃接する患者さん、皆一人一人が自分自身の「物語」を持っています。その物語を持ってここまで生きてきて来られています。一人一人とまっすぐに向き合う事の大切さを教えられたような気がしました。