SiCKO

 先日マイケル・ムーア監督の新作「SiCKO」を観ました。高齢者と低所得者(合わせて約25%)が加入しているメディケア・メディエイド以外は公的医療保険制度のないアメリカでは、国民の約60%が民間の医療保険に入っています。(勿論残りの15%約4700万人は無保険者です。)
 そんなアメリカではどのような医療が行なわれているのか、実際の事例を映画で見た後でその現実に唖然とし、また以前ヒラリー・クリントン国民皆保険制度を導入しようとしても結局断念せざるを得なかった理由が、大手民間医療保険会社とそのロビーストや彼らを資金源とする国会議員による嫌がらせだとは知っていましたが、このような医療制度になぜアメリカ国民が甘んじていられるのか、映画を見た後でも不思議に思えてなりません。
 映画が上演されてすぐ、中指と薬指を2本切断した患者がやってきます。接合手術代が中指で500万円(?だったかな)、薬指で180万円、患者は妻を愛しているという理由(ユーモアだなあ)で指輪をつけられる薬指を選びます。高額な理由は医療保険にはいっていないから。
 民間保険に入ろうとしても、BMIが高い・痩せすぎ・若いが理由で断られる始末。入った後でも、既往症に記載漏れを見つけたり、その手術には疑問があるという理由で医療費を踏み倒すという保険会社。映画では移植さえすれば生きる可能性があり、そしてドナーをも見つけた患者に、治療を疑問視する事で治療を遅らし死に至らしめた例も挙げています。保険会社で治療を査定する医師は、初めから約10%治療を認めるなと言われ、より以上に治療を認めなければボーナスが出るという、さらには治療費を払えないような患者を貧民救済センターの前で捨て去って行く病院の例も挙げています。
 医療技術に先進的で、創薬技術や治療ケアも進んでいるアメリカに、なぜこのような医療がまかり通るのか、私には全ての理由が市場原理主義のように思えてなりません。
 ヒトが作った法人という企業の目的は利益を上げること、それしかありえません。しかしその利益を生み出す為には、長期的な戦略と短期的な戦略があります。経営者であれば、企業の存続という長期的戦略の為にCSR(社会的責任)を考えるのは当たり前の事です。目先の利益にとらわれ、法令を遵守しなかったり、社会的責任を果たさなければ、利益を生み出す会社自体の存続が危うくなります。ところが今の社会、経営と所有の分離が声高に唱えられ、株主の権利・配当の要求が助長されています。つまり、会社における企業倫理よりは短期の利益の確保の方が優先されるのです。ジョエル・ベイカンの「ザ・コーポレーション」には”企業とは病的な機関であり、人間と社会に対して大きな影響力を持つ危険な存在である。”と書かれています。平川克美氏が書かれた「株式会社という病」という本でも、”会社と経営が分離された事により、経営者倫理観もまた分離・分断されることになる”と述べられて、株式会社の存在自体が病なのだと述べられています。つまり、企業優先が世界で最も進んだ社会・アメリカは、既に病にかかっていて、国民全体に影響が及んでいるのかもしれません。
 「株式会社という病」平川克美著:NTT出版 株式会社という病 (NTT出版ライブラリーレゾナント)
 以前、ある投資家が「金儲け、それは悪い事ですか!」と叫んでいた映像が、あちこちのTV局から流されていました。金儲け、今日の世界でそれ自体は悪くないでしょう。しかし、声高に叫ぶその姿に”ほんとは悪いと思っているだろ。”と思ったのは私だけでしょうか。また、”お前も金儲けしたいんやろ”と言いたいんやなと感じたのは、私だけでしょうか。金儲けが優先されるこの世の中にあっても、医療の世界にだけは株式会社は入って欲しくないと、この映画を見て感じました。
(実は既に入っているのですが・・・・・)