雷龍の王を想う

 Thunder Dragon 雷龍の意味をもつ国名を持ち、国旗に竜を抱く国、チベット仏教を国教とするブータン王国は、人口の世界一・二位の中国とインドに挟まれた人口70万人の小国である。

 しかし近代化の中にあって、そのスピードをコントロールしつつ、国民総生産ではなく、“国民総幸福量”を追求すべきと唱えた国王:ジグミ・シンゲ・ワンチュク龍王4世の統治によって、ブータン王国はインド・中国に畏敬の念を抱かれている。
 
 「人の上に立つとは、人の下を知らねばならぬ。」
 かの言葉の如く、雷龍王4世は国の地方をくまなく歩き、社会の片隅で生きる草の根の人々に熱い思いを寄せ、かけがえのない命を生きる無数の人々に深い共感を寄せる。

 一つの事実がある。
 
 インド北東部は七つの州からなり、インドでは最も貧しい地域のひとつ、多くの少数部族が住む。お決まりの如く、少数民族の独立思想は強く、中でもアッサム州のアッサム統一解放戦線とボド国家独立運動はインド政府を悩ませていた。
 アッサム州は、ブータン南端・亜熱帯ジャングルに隣接し、両組織はこの地方に侵入し、住民から食糧・資金を調達してインドへのテロ活動を続け、ブータンの開発事業を遅らせていた。

 武力で一掃せよとの国会議員の声に、仏教の慈悲の精神・殺生禁断の戒めを説いて交渉を進めた雷龍王4世ではあったが、交渉は決裂し、国会決議に従って軍の最高司令官の雷龍王4世自らが最前線で兵を率い、武装勢力をわずか3日で掃討したという。
 ブータンの兵士は全軍合わせてもたった6千人にしかならぬ。
 しかし、ジャングルの地形をことごとく利用し、敵味方差別なく死者を出さずに勝つための戦略を練った王には、3日で十分だったという。

 戦勝に国民は狂喜、凱旋パレードを用意して王の帰還を待ち受けたが、数人とはいえ敵味方に死者を出した戦いに祝いの宴などもっての他、するならば帰らぬという姿に、王の意は国民にすぐに伝わった。

 負傷者は敵味方なく手厚く看護され、礼儀正しく慈悲深い扱いを受けたゲリラ兵と兵の家族は、その不思議な感動を語り伝え、民族運動を去ったものも多いと聞く。
 
 リーダーとはかくの如し。

 今の日本国、政治の世界に貧困にあえぐ底辺の民の話を聞く政治家がいるだろうか。
 医療の世界に、草の根の医療を行う医療人が何人いるだろうか。
 薬剤師会に、各支部の末端で勤務し、不条理を思う薬剤師の声を聞こうとするリーダーが何人いるだろうか。
 
 世界の不条理や社会の矛盾に目を背けるのでなく、誰かに依存して生きるのでなく、社会の片隅で、願いを込めて、想いを定めて、自分自身を導き歩むのが、真のリーダー。
 
 雷龍の王に、リーダーのあるべき姿を想う。