余命こそ人生の本番
いくつかの理由がって、永らくブログを更新していなかった。
ところが、最近ちょくちょく知人や患者さんからの「ブログ辞めたんですか?」という声を耳にする。
こんな日記でも読んで下さる方がいる事が嬉しいものだ。
幸い更新しなかったおかげで、ネタは沢山ある。そういう訳でブログを再開することにした。
今日、神戸でスポーツファーマシストの講習会があった。
同時に小さな町の片隅で、ALSの患者さんが自らの胃ろうを見せて、使用者としての声を挙げる小さな勉強会が催された。
自分が社会の中でどう必要とされているのだろう。
そう考えれば、どちらに行くかの答えは決まっていた。
胃ろうの是非が、多くの医療者の中だけで議論されている。素人である患者が意見を語ろうとすると、「医学の専門家の視点が欠けている事で、その議論の価値自体が下がってしまう。」という意見さえ返ってくる。
どうして胃ろうを使っている人の声に耳を傾けようとしないのだろうか。
人のいのちは医学のものではないだろうに…
ALS(筋委縮性側索硬化症)の余命は平均5年といわれれる。
1997年に発病されたNさんは、2006年に2年間の熟慮の結果胃ろう増設を決断した。食べることへの執着・胃ろうへの不安を経て作った胃ろうは、今は増設して良かったと感じられている。
医療の世界では、食事とは”栄養摂取”の意味だという。胃ろう手術後、ナースは「もう無理して食べる必要はありません。よかったですねえ。」と語ったという。
勿論、胃ろうを作る患者の状態によってその意味も変わる。
脳疾患や認知症など、意志を発する事の出来ない患者もいれば、こうして自分の意志を語れる患者もいる。
食べる事は栄養摂取以上の意味を持つ。
食べられないから胃ろうを作り、その患者を食事をとるという日常から切り離せば、気持ちまで病人になる。
病人は治療だけを目的に生きているわけではなく、その時その時を豊かで満足のいくものにしたいと考えている。
QOLの為に作った胃ろう。
それ故、今は毎日が楽しいとNさんは語っていた。
「いつか人工呼吸器を使うことになる。その後に見える新しい世界が待ち遠しい。」と彼はいう。
「余命こそ人生の本番。」
時に患者さんの言葉は、光のように心を突き抜ける。