垣添忠生と妻を看取った8人の男達
結果は「多発性転移」
ガンの手術は完璧だった…それなのに。
全てを妻に告げると、妻は健気に笑った。
「あなた、私がいなくなると寂しいわよ。」
独り、医師は妻を自宅で看取った。
「妻との約束は二つあったんです。
一つは世界中を旅行する事。もう一つは、亡くなった後の骨を散骨する事。
五年かかりました。
やっと世界一周を船で行いました。
その間に骨は海にまいちゃいました。
約束が果たせたのでほっとしています。」
「子供を産んで直ぐにガンが見つかりました。もうどうにもならないところまで来ていました。
私は長男で、両親を一緒に見るはずでした。
ちょうどその時、母も認知症にかかりました。徘徊で大変でした。
あれから2年になります。
小学校2年生を筆頭に、一番下が2歳の4人の子持ち、独身です。
希望者があればお願いします。
母は今は特養に入りましたから、親父が平日は見てくれています。
人前に出たり、お酒を飲みに来るのはあれから始めてです。
大変でしたねって言われるのが、嫌だったんです。」
「病名告知と余命告知がありましてね。
実は余命告知は独りで呼ばれたんです。告知を受けた後、思わず泣いてしまいました。
泣き終わった後、先生にすみませんて謝ったんです。
すると誰でもそうだよって言ってくれたんです。
病室に帰ると、看護師さんが待ってくれていましてね。どうぞ、いくらでもこの胸で泣きなさいって言ってくれました。嬉しかったなあ。」
「二人で風のガーデンを見ていたんです。
すると妻が、あんなところに行ってみたいとふと言ったんです。まあ、できない事だとは思っていたんでしょうがね。
でも訪問看護師さんに話すと、それがカナダに行っていた主治医の耳に入りましてね。
是非、行ってきなさいと言うんです。
北海道で何かあった時の医師、病院まで調べてくれてね。
そして行ったんです。
よかったなあ。最高だった。
そして帰りの飛行機ではもう妻は水もとれない状況でした。それでも最後の旅行は、きっと思い出になったはずです。」
2011年10月8日、西宮市アミティホールでNPO法人”アットホームホスピス”が企画した講演会「垣添忠生と妻を看取った8人の男達」が行われた。
私もそのスタッフの一人として、企画段階から参加し、この日を迎えた。
上記の記述は、その公演で話された内容の一部である。
薬剤師にできる事はなんだろう。いやその前に人としてできる事とは…。
その時ふと気付いた。いや、私にできる事がある。
それは、それぞれの想いを言葉で残す事。
どれだけ演者の想いを表現できたかは分からないが、記録として残しておく。