映画「エンディングノート」

 人は古より不老不死を請い願う。
 紐解かれる歴史の中に、いかに人がこの事に情熱を費やしたかを見る事が出来る。

 しかし、決して変わらぬ事実がある。
 人は必ず死ぬのである。

 映画の冒頭、主人公の葬式が始まる。
 四谷イグナチオ教会。
 行われている葬式の後ろに流れる声は、主人公の実際の娘である監督が、本人になり代わって語る心の声である。

 「エンディングノート」とは、法的な力を持つ遺書(ウィル)とは別で、家族に対してしたためた覚書の様なものを意味する。
 しかし映画は、ことさらこのタイトルの「エンディングノート」を描こうとはしない。
 小さい時から映像で記録する事に興味を抱いた監督が撮り貯めた、家族のホームビデオ。
 映画は、このホームビデオの中から主人公である父の記録を取りだし、一人の男の歴史を死ぬまで、いや死後の葬式までドキュメンタリーとして著すことで、彼が残した覚書を観客に示す。

 “死”にまつわる哀しみや尊さを描き、圧倒的表現で感動を与える映画は多い。
 しかし、実際には死のその日まで、毎日は何事もないかのように淡々と過ぎていく。
 しかしその毎日を普通に暮らす事に、死を家族と共有して悩み、語り合いながら生きていく事に、物語にもならないような日常に、どれだけ価値があるのかを映画は静かに語りかける。

 死は必ずやってくる。誰にも等しくやってくる。
 そして愛する人々との別れがそこでは待っている。

 しかし残された者たちがどれだけ故人に思いを馳せるかで人は生き続ける。
 共に生き、一緒に作り上げた暮らしがあれば、人は死なない。
 逝った人を思い続ける限り、人は決して死にはしない。

 きっとこの主人公は、家族一人一人の中で生き続け、語り続けてくれるように思った。

 エンディングで流れるハナレグミの「天国さん」。名曲です。

(彼は死ぬ二日前に、仏教徒を止めカトリックの洗礼を受けました。なぜって?それは映画を見てのお楽しみ…)