おかえりなさい(終末医療を考える)

平成15年厚生労働省資料「人口動態統計」によると、年間死亡者数1015034人の死因1位は癌309465人(31%)、2位は心疾患159406人(15.5%)、3位は脳血管疾患132044人(13.3%)、4位肺炎、5位不慮の事故、6位自殺・・・と続く。
遺伝子治療や量子線治療など治療方法は目を瞠るものではあるが、いまだ癌治療は難しい。
死は必ず人のもとに訪れる。
それまで如何に生きるべきか、いやどのように死ぬべきかと考える事を、我々はもっと声高に言及すべきだと私は思う。
癌はある程度死期を予測できる疾患だ。だからこそ、死ぬまでの道を我々が考える時間を与えてくれる。
尊厳死リビングウィル
死を迎える終末期、特に癌の場合、我々には自分にしてほしくない医療について事前に医師に伝える方法がある。
それが尊厳死だ。
日本尊厳死協会の「尊厳死の宣誓書」によれば、
”私の疾病が、現在の医学では不治の状態であり、既に死期が迫っていると診断された場合には、徒に死期を引き延ばすための延命処置は一切お断りします。但しこの場合、私の苦痛を和らげる処置は最大限に実施してください。そのため、たとえば麻薬などの副作用で死ぬ時期が早まったとしても、一向に構いません。私が数ヶ月に渡って、いわゆる植物状態に陥った時は、一切の生命維持装置を取りやめて下さい。”
と定義される。
これをリビングウィル(生きている間の遺言書)に書く。日本では法的な強制力は無いが、本人の意思表示の証明にはなる。
−最期は何処で迎えたいか。
「自分がもう治らないことがわかった時、残りの時間を何処で過ごしたいか?」というアンケートをすると、約80%の人が家で家族と一緒に過ごしたいと答えたという。
しかし現実には自宅で最期を迎える人は12%にすぎない。84%の人が病院で、残り4%が施設で最期を迎える。
(ちなみに、アメリカでは31%が自宅、41%が病院、22%が施設。オランダでは31%が自宅、35%が病院、施設が33%)
実は昭和54年までは自宅で最期を迎える人のほうが多かった。この年を境に比率が逆転している。これは、病院の数が増えた事もあるが、看取る家族が核家族化で少なくなったのも原因であろう。
死を共に迎えるという文化がなくなってしまったのは悲しい事といえる。
−おかえりなさいプロジェクト
先日、尼崎市武庫之荘で「さくらいクリニック」を開業されている桜井隆医師の講演をきいた。(桜井医師は私の母校の後輩に当たる。)
桜井医師は終末期の患者を自宅で看取る「おかえりなさいプロジェクト」というものを主催し、終末期を患者と共に過ごす”看取り”の医療を行っている。
最期の一瞬まで抗がん剤放射線で癌と闘う生き方もある。
かたやこのように家族と共に最期を生きる生き方もある。
本人が選ぶ限りどちらも正しい生き方であろう。
ただ、死はその人自身の死であっても、生きてきた歴史は家族や友達などと共に生きてきた歴史でもある。
その人たちと最期までの時間、共に語り合い、共に死を理解しながら別れの挨拶を送る。この行為は、遺された者にとって決して無駄にはならない。
自宅で迎える死を選んだ患者に初めて会う時、桜井医師は「おかえりなさい」と声をかけるという。
その言葉の持つ暖かさが、最期を迎える人達の生きる力になるに違いない。