こうのとりのゆりかご運用半年経過。

 11月11日の朝日新聞では、熊本市の慈恵病院に5月に設置された“こうのとりのゆりかご”が、運用半年で8人の子供を預かったことを報道しています。
     http://www.asahi.com/life/update/1110/SEB200711100019.html
 以前にもこの日記で書いたように、預けた後心配になった両親に引き取られた例もありますが、多くの子供は今乳児院にいるようです。
 乳児院というのは、児童福祉施設の一つで、子供たちは児童虐待や養育者の不在などを理由として引き取られ、原則的には1歳未満の乳児を主に養育しています。
 預ける理由はさまざまで、両親が経済的に育てられない事や、先天的障害を持つ子供を嫌がった例などがあります。
 以前に“ワーキングプア”でも書きましたが、親の格差の広がりは、子供たち次の世代に更に新しい格差を生じさせます。そこには、浮かび上がれない境遇というものが存在するようになります。社会の底辺で生まれた新しい“いのち”は、この先何を見るのでしょうか。自分を捨てた親に、格差を生む社会に、心を荒廃させるのでしょうか。
 私の薬局では在宅医療を行なっています。高齢者で疾病を抱えた人、独居での生活を寂しがる人、少しずつ動かなくなる体に悲しむ人、そんな方々でも少しでも希望を持って生きていってほしいと願って、毎日自転車を漕いでそれぞれのお宅を訪問しています。
 こういった最期へ少しずつ向かっていく“いのち”も、生まれたのに捨てられる新しい“いのち”も、どんな“いのち”もその重さには変わりがありません。
 記事にあるように、「親がいないこと」に将来傷つく子供達もいると思います。「何故生まれてきたのか。」と、悩む子供達もいると思います。
 しかし、そんな子供達を支える社会を作ることこそが、政治や大人の責任なのではないでしょうか。
 「こうのとりのゆりかご」を否定するより、新しく生まれた”いのち”を守ろうとするその姿勢を評価するべきではないでしょうか。
 これからも、医療者として「こうのとりのゆりかご」を静かに見つめたいと思っています。