医療と経済学者

 日本経済新聞11月25日(日)の読書欄に、”経済論壇から〜医師不足の原因を探る〜”という題で、東京大学教授 松井彰彦先生が一文を寄せておられます。
 松井先生は、現在病院で医師が置かれている過酷な勤務状況を改善するには、「医師の絶対数を多くする事が必要で、さらに診療科によって偏在する医師の数を均等にする為に、医師数の不足している診療科目の診療報酬を増やすような経済的な取り組みが必要だ。医師にモラルを求めても限度があるし、正当に評価されない診療科は志望者が減り、やがて廃止されるのは自明の理だ。」と、述べられています。
 確かに、人は理念だけでは生きていけません。仕事に見合う収入があってこそやりがいも生まれます。社会企業家で、”room to read"を率いるジョン・ウッドは、著書”マイクロソフトでは出会えなかった天職”で、「NPOの職員は事業の理念の大切さは雄弁に話すが、資金集めはについては軽蔑すべき些細な事のように話す。しかし、十分な資金がなければ活動など出来ない。お金は理念と同じく重要なのだ。」と述べています。
   ”マイクロソフトでは出会えなかった天職”ランダムハウス講談社 マイクロソフトでは出会えなかった天職 僕はこうして社会起業家になった
また、中医協の委員の先生が、「制度を生かすには、医療法という法の改正より、診療報酬というお金の部分を変える方が有効な施策である。」と述べられている点からも、松井先生の意見は理解できます。しかし、その診療報酬に対する具体的変革の意見には疑問を感じます。
 先生は、「現行の診療報酬は政府による価格統制であり、統制価格のみでシステムが有効に機能することは到底あり得ない。診療報酬にも適度な柔軟性をもたせるべき時期なのかもしれない。医療における価格の自由化には、低所得者に対する配慮が欠けるという批判が出るが、低所得者に対する医療費控除やバウチャーで改善することはできる。統制経済の弊害によって疲弊した現場が崩壊する前に、経済学がなすべきことは残っている。チャーチルではないが、民主主義同様、市場制度は最悪の制度かもしれないが、そこには、これまでに考えられてきた様々な制度を除いては、という但し書きつくのである。」と述べられています。
 もし、医療費に自由価格がこれまで以上に導入されれば、偏在する医師数を均衡化するために診療報酬を増やせばよいという意見と同様、利益の出る価格の診療ばかりを医療機関は行うようになるでしょう。また、診療の患者負担が増えれば、低所得者や高齢者に負担が重くのしかかります。どんなに救済の為のバウチャーや控除を行っても社会的弱者は疲弊します。
 高い医療技術に高額の費用が払われる事は仕方が無いかもしれません。しかし、高額の費用が払われるアメリカは、世界で一番医療費が高く、多くの国民が医療費負担に苦しんでいます。映画”Sicko"で、その現状は十分報告されているではありませんか。先生が言う”柔軟性を持った価格”とは何を指すのでしょうか。
 自由な価格は、今日の経済学においては基本的理念かもしれません。しかし、現場を経験しない”経済学者”の統計資料を用いた論理は、経済学を学んだ現場の薬剤師から見れば、実態に合わず社会的格差を更に助長するといわざるを得ません。