ゴールデンスランバー

 井坂幸太郎が久しぶりに書いた長編小説の”ゴールデンスランバー”は、なかなか読み応えのある作品です。 
 1月12日付朝日新聞夕刊で、作者自身が作品の中で伝えたかった思い「生きていて最終的に頼れるものは、人とのつながりでしかない。」は、私は十分に読者に伝わっていると思います。ゴールデンスランバー
 作品は、J・F・ケネディ大統領暗殺事件をモチーフに、日本の首相が同様に暗殺された際の犯人を、オズワルドのようにでっち上げられたものとし、更に映画・ドラマ”逃亡者”のように逃亡させるというストーリーに仕立てています。また作品構成では、映画のような”カットバック・フラッシュバック”を多用し、まるで映像を見ている感もあります。
 作者が述べておられるように、人と人との信頼こそが社会の中で人を救う道なのかもしれません。しかし、現実世界では、その信頼感が非常に希薄となっているのもまた事実です。互いに尋ねあったり教えあったりすることも無く、全てを一人で検索サイトで調べようとする世界は、核家族どころではなく、家族への信頼さえない家族崩壊の始まりのようでもあります。
またこの小説は、二つの怖さを語っています。一つは、権力を持つ者の怖さです。小説のように、いつのまにか自分の知らないところで犯人に仕立てられることもあるのかもしれません。映画「それでもボクはやってない。」の主人公のように、無辜であるにもかかわらず有罪になることは、現実には起こっています。弱者への配慮なしに起こる制度改革なども、権力を持つ者の暴挙です。私たち自身が、権力を持つ事への怖さに対する意識を高める事が大事なのかもしれませんが、実際そのような状況になれば、多くの人がその権力を振るいたくなるであろう事も、人として自然かもしれません。しかし、その意識を変えなければ、人間の精神の悪化は留まる事はできません。
 そして、この小説が語るもう一つの怖さは、報道の怖さです。本編でも述べていた「マスコミはうそは語らないかもしれないが、読者・視聴者が求め喜ぶものしか報道しない。」という事は、実際に通常茶飯事です。大事なことは、正しく伝えることなのに、書き手・伝え手によって事実が歪曲され、民衆の意識を誤った方向へ動かすことは多々あります。報道は常に正しいわけではない、これはしっかり認識しないといけないと思います。また報道機関も、自らが真実だといった姿勢ではなく、その報道にはどれだけの偏向があるのか認識する必要もあります。
 そういった観点からこの小説を読むと、また異なった味わいもありますが、ただ普通に読んでも十分面白い作品だと私は感じています。