医療の在り方

 世界に類を見ない国民皆保険制度により、全国民が所得の多少に関わらず必要な医療を受けられ、そしてフリーアクセスによって、どの医療機関でも自由に治療が受けられる日本の医療制度は、国民の健康寿命・平均寿命・乳児死亡率の低さを世界のトップに導きました。その上、GDPに対する総医療費比率はOECD加盟国30か国中その平均を下回る18位で、諸外国に比べてコストパフォーマンスに優れた医療制度だと言われています。しかし、その実態は、医師をはじめとする医療スタッフの過剰な労働や、劣悪な医療環境を黙認した事に依存しているに過ぎません。
 さらに経済が低迷する状況の中での財政悪化を防ぐため、政府は更なる医療費の削減策として、療養病床の削減や外来主治医制度を計画し、患者に必要な医療や検査が行われない現状が生まれようとしています。昨今メディアで伝えられる“医療崩壊”という言葉は、実はこれまでの医療政策の付けが回った結果なのです。
 実際、医療機関においては、医師の疲弊に伴う地方病院の閉鎖、小児科・産科医の減少、救急医療の崩壊が起こり、患者に供するべき医療が行えない状況にあります。逆に患者側からは、後期高齢者医療制度における高齢者や若年労働者の保険料の増大や、医療費を負担する世代間の不公平感で医療に疑念を募らせています。
 制度は、その理念と継続できる財政基盤によって健全な施行ができます。ならば、この二つを構築することが、医療が変わるべき道筋だと言えるのではないでしょうか。
 従って第一に、医療はその財政基盤を限界に来ている保険料方式ではなく、税として広く国民から徴収する事を考える必要があります。そもそも医療は、個人が尊厳を持って生きる事を支援するものであり、医療制度は社会の構成者の支え合い、世代間の助け合い精神に立脚するもので、セーフティネットの意味をもちます。公費負担が5割という現行保険料方式では、経済が低迷する中、医療費の増大が財政を圧迫する事は必然です。しかし、医療費を無理に抑制すれば、患者にとって本当に必要な医療が提供されなくなり、負担に見合う医療も提供されなくなる恐れがあります。
 そこで、負担についてマクロ的抑制政策ではなく、費用対効果という側面から考えてみることも私は必要だと思っています。負担に見合う効果が理解できれば、税による徴収も決して否定されるものではありません。
 そして、医療において明確にされるべき理念とは、医療は患者の視点に立ってなされるべきだという点です。終末・緩和・在宅医療も、患者との対話の中からその想いを聞く事から始まり、語る事で患者の理解が得られます。
 現在、在宅医療の世界では、患者本人との対話を通じて、本人が求めるケアを他職種が集うチームで行う、コミュニティケアが行われ始めています。本来の医療もこれを見習い、患者を中心としたチーム医療を行う事を一般化する事が、変わるべき医療の形なのではないかと、私は考えています。