怖い絵

 怖い絵
 怖い・恐い・・・漢字で書くとこうなりますが、私自身は、ホラー・幽霊・怪談・オカルトものは映画でも、本でも見る気がしません。
 暫く前、映画監督の黒沢清氏は、NHKラジオで
 「恐いという感覚が、一般には美しいや楽しいという感覚より劣っているという感覚でとられている。そういった意識は納得できない。」
 と述べられていました。確かに、言わんとする事はわかりますが、個人的にはどうも好きになれません。
 しかし、この本”怖い”とは言いながら実に面白く怖い本です。
「怖い絵」中野京子著:朝日出版社
 例えば、この本の表紙はラ・トゥールが描く”いかさま師”(ルーブル美術館)です。実はこの絵の右側には、カードをじっと見詰めている男がいます。彼は真剣にゲームに没頭しているようです。しかし、表紙の真ん中の女性は横目で合図を送っています。合図の相手は絵の左側にいる中年男で、その右手には二枚のカードが後ろ手で握りしめられています。左手には通常のカードが握られていますが、その男も横目で見つめています。表紙の左上の女性にも給仕をする女性が描かれていますが、彼女も横目で中年男性に合図を送っています。
 つまり、この絵は三人がグルで行っている”いかさま”が描かれているのです。
 正面女性の横目の表情はまさに胡散臭く、何気ない絵の中に真実の怖さが描かれています。
 絵もよく眺めていると、作者の述べたい真実が描かれている。怖さにもいろいろある事がよくわかります。

 この本の中で、私が一番怖かったのは、クノップフ”見捨てられた街”(ベルギー王立美術館、1904)です。
 濃い霧の中を迷い歩くうちにたどりついたこの街には、人気が感じられません。家の前の歩道はやがて海へと通じていますが、海との境はすでにどこかわかりません。家の窓はすべて固く閉ざされており、玄関の戸には取っ手も無さそうに見えます。つまり、中にも入れず外にも出られないこの家の空気は、既に淀み、煮詰まり、濃密な気配を漂わせ、死臭さえ感じさせられる、そんな気がします。
 そしてこの家は、全てを抱えたまま、今まさに海を迎えようとしていることがわかります。先に述べたように、既に境もなくなった海は、穏やかに静謐に打ちよせ、建物を包囲していきます。家の前の広場の石畳も半ば近くまで海水に覆われ、朽ち果てることのない作者の思い出も、建物と共に海底に沈んでゆくのでしょうか。しかし、それでもなお決して作者の思いは消え去ることなく、永遠に生き続けていく、この怖さは筆舌に尽くしがたく感じられます。
 
 実はこの作者クノップフは、以前は肖像画家で有名でした。しかし、後年肖像に描かれる顔は、クノップフの愛した6歳下の実妹にそっくりなものばかりであったといいます。そしてこの愛し続けた妹が生まれた街が、この絵に描かれている街:ブリュージュです。彼は約3年間この街を書き続け、沢山の絵を残しています。ただし、彼自身は一度もこの街に入ったことはないと言われています。絵葉書や写真、最後には夜汽車で街を見ることなく通り過ぎることだけで、想像を育みこの街を描き続けたと言います。
 何が彼をしてそうさせたのでしょうか。
 それは想像に難くないことですが、そんな事よりもこの絵に描かれる、圧倒的な情念、海底に沈み滅びようとする建物の中に封じ込めたまま生き続けようとする作者の心が実に怖く、そして哀しいと感じられます。

 怖さにもいろいろな種類がある。
 そのような本を、絵を、映画を見続けていきたいものです。