マスクと日本人

 新型インフルエンザの国内感染が確認されてから1週間が過ぎました。
 神戸・大阪などでは、マスク着用でないと出社できない会社もあり、私たちの薬局でもマスクを求める患者さんがひっきりなしに入ってこられますが、残念ながら入荷の見込みもありません。
 インフルエンザは飛沫・接触感染で起こります。つまり、感染者からのくしゃみや鼻汁の飛沫が健康人の粘膜に付着する、或いは感染者の鼻汁などのついた手が触れたものに触り、それが健康人の口や鼻の粘膜に付着する事で感染がおこります。
 そういった意味で、手洗い・うがい・咳エチケットは感染防止の基本で、世界中どこでもこの対策が取られています。
 マスクも感染者がつければ、ウィルスの飛沫を抑える事が出来る、非感染者への感染を防ぐ大事な手段です。
 しかし、健康人がマスクをつける事で、飛散するウィルスを吸引する事を防ぎ、感染を防止するかというと、それは意味がありません。
 室外で大気中にウィルスが飛散していることはほとんどありません。大多数は物に付着しています。そしてその生存時間は数時間です。インフルエンザが接触感染でおこるというのはそういう意味です。空気感染ではないのです。
 したがって健康人のマスク着用に意味があるとすれば、それはウィルスが付着して手で無意識に口や鼻の周りを触る事を防ぐという点です。しかし、これさえも十分な手洗いで防ぐことができます。
 つまり、マスクを買い求め装着する事に、大きな意味はありません。ネットでとんでもない高価な価格でマスクを購入する事は誤った考え方とも言えます。
 しかし、日本ではマスク着用が当然であり、していない事が悪のような目で見られています。こういった”世間の目”を恐れる事が、今回のマスク狂奔の主たる原因のように私には思えます。かつての”村八分”的な考え方は、今も民俗学的に残っているのでしょうか。
 合理的考え方だと感じて行った日本人という集団の行為が実は不合理であり、世界中から奇異の目で見られる、集団的な感情がややもすれば日本人という民族の特異性を浮き彫りにする、そんな風に考えるのは私だけでしょうか。
 また、そういった風潮を助長するメディアの報道の仕方にも疑問が残ります。
 冷静な目で考え、確かな情報を与える、メディアに大切なのはそういった態度なのではないでしょうか。