奇跡の画家

 奇蹟の画家
 JR元町駅から神戸駅の南側に、東西に亘る元町商店街がある。
商店街と言えば小さな店が並ぶ街を思い浮かべるが、この商店街は確かにアーケードはあるものの、歩道の道幅は大阪の心斎橋とは比べられないほど広い。
並んでいる店先にもほのかに港町の香りが感じられ、三宮のセンター街とも趣を異にする神戸独特のモダニズムがある。


 この商店街の中ほど元町三丁目に、海文堂書店がある。
創業は大正3年、まもなく一世紀にならんかとするこの書店には、阪神間に住む人間なら一度は訪れたに違いないと信じるだけの歴史が感じられる。

紀伊国屋ジュンク堂など今なら大型書店が繁華街には林立しているが、私が育った時代には神戸では海文堂が大きな書店だった。
そしてその帰りには、必ず海文堂を訪れたものだった。

海文堂は他の書店とは違って、置いている本に特徴があった。
特に2階に上がると、航海・船舶など海事専門書が見事に揃っていた。
そしてもう一つ特徴があった。
それが"海文堂ギャラリー"。
ギャラリーは、4代目社長であった島田誠氏が昭和53年に併設したそうだ。
 元来の美術好きがなせる道楽ともみえるが、時を経るにつれ、絵を売り儲けるただの“画商”ではないことが明白になる。


 ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ
 “向日葵”や“アルルの跳ね橋”等の名作で知られる巨匠が、生きている時に売れた絵はただの一枚。
 狂気を内に宿したこのゴッホの生活を支えたのが4歳下の弟テオ。
 彼の仕事は“画商”だった。
 テオにむけて大量の手紙を書いていたゴッホの最期の手紙(これは投函されることはなかったが…)はこんな文面で結ばれている。

     …しかし、きみはどうしようというのか。…

 島田氏には、この一文が心に刺さった。
 画商とは、画廊とは一体何なのだ?
 自分自身はどう生きたいのか?どうしようというのかと…

 海文堂ギャラリーで、彼は
   “孤立無援の中でこつこつ仕事をする人、マイナーで認められなくても懸命に創作してきた人、描きたいだけではなく描かざるを得ない必然を持っている人…総ずるに、絵に対して命を削って向き合っている作家たち”
 に手を差し伸べた。

 その中に石井一男という作家がいた。
 清貧にして静謐、その生き方そのものが作品に色濃く表れる絵図“女神”

 一見して暗いと感じられる絵図に浮かぶ女神を静かに見ていると、いつの間にか仏や聖母を感じてしまう。
 語りかける”祈り”や”慈愛”は、
   死を間近にみる患者を
   阪神大震災で被災した人を
   市井で静かで誠実に生きる人を
 優しく支え続けるかに感じられるのである。
 
 この本は、ノンフィクション作家後藤正治氏が、この一人の画商と画家、そしてその絵を買った市井の人たちの生き様を振り返りながら、人が人としてよく生きることとは何かを描いた素晴らしい本です。

 最後に、海文堂書店の島田さんは既に職を辞し、三宮ハンター坂に“ギャラリー島田”を構えておられます。
 1月17日をはさんで、阪神大震災で亡くなった西宮市在住の画家:津高和一さんの追悼展が開催されるそうです。
 お近くならば足をお向けください。