ある急患の夜

 「大雨警報が出たね。」

 いつもより早く帰れた今日、テレビを見ながら夕飯を作る娘に声をかけた。
 奥様は中学校の同窓会とかで、とうの昔に出かけている。

 その時、電話が鳴った。
 表示を見ると○○診療所からだ。

 「悪いね。○○さんに薬をお願いしたいんだけどいいかな?」
 「もちろん、大丈夫ですよ。」

 がんの多発転移があり、自宅での療養を選んだ○○さんは、最近急に状態が悪化し、もうベッドから離れられない。
 先日から在宅医療に変わっている。

 直ぐに服を着替え、店に向かう。
 横殴りの雨は、傘を無用のものにしてしまう。

 店のシャッターを開けていると、向かいの造園業の親父さんが話しかけてくる。
 「また急患かい?夜も日曜も関係ないね。」

 戸を開けて傘を待合の椅子に立てかける。

 早速レセコンを立ち上げ、聞き取った処方を入力し、薬を用意する。
 ゴアテックスの合羽を着こみ、愛用の電動自転車を待合から引き出す。

 「あれ?止んだ。」

 外はさっきまでの雨がうそのように、静かに息づいている。
 手を広げて暗い空を見上げても、もう雨は落ちてこない。
 今の間と、急いで患者宅までこぎ出す。
 電動自転車は今日も快調。坂を上がっても楽なものだ。
 
 患者さん宅に着き、ベッドサイドで薬の使い方を患者・家族に説明する。
 患者本人はいたって元気、頭も聡明だ。

 「ご苦労様でした。」ねぎらいの声を後にして、店に帰る。

 立てかけていた傘の先は、床に大きな水たまりを作っている。
 しかし在宅医療に向かっている間は、雨は一滴も降らなかった。

 時に神様も微笑んでくれる事がある。

垣添忠生と妻を看取った8人の男達

 手術後の検査の結果が出た。

 結果は「多発性転移」

 ガンの手術は完璧だった…それなのに。
 全てを妻に告げると、妻は健気に笑った。

 「あなた、私がいなくなると寂しいわよ。」
 独り、医師は妻を自宅で看取った。


 「妻との約束は二つあったんです。
 一つは世界中を旅行する事。もう一つは、亡くなった後の骨を散骨する事。

 五年かかりました。
 やっと世界一周を船で行いました。
 その間に骨は海にまいちゃいました。
 約束が果たせたのでほっとしています。」


 「子供を産んで直ぐにガンが見つかりました。もうどうにもならないところまで来ていました。
 私は長男で、両親を一緒に見るはずでした。
 ちょうどその時、母も認知症にかかりました。徘徊で大変でした。
 あれから2年になります。
 小学校2年生を筆頭に、一番下が2歳の4人の子持ち、独身です。
 希望者があればお願いします。
 母は今は特養に入りましたから、親父が平日は見てくれています。
 人前に出たり、お酒を飲みに来るのはあれから始めてです。
 大変でしたねって言われるのが、嫌だったんです。」


 「病名告知と余命告知がありましてね。
 実は余命告知は独りで呼ばれたんです。告知を受けた後、思わず泣いてしまいました。
 泣き終わった後、先生にすみませんて謝ったんです。
 すると誰でもそうだよって言ってくれたんです。

 病室に帰ると、看護師さんが待ってくれていましてね。どうぞ、いくらでもこの胸で泣きなさいって言ってくれました。嬉しかったなあ。」

 「二人で風のガーデンを見ていたんです。
 すると妻が、あんなところに行ってみたいとふと言ったんです。まあ、できない事だとは思っていたんでしょうがね。
 でも訪問看護師さんに話すと、それがカナダに行っていた主治医の耳に入りましてね。
 是非、行ってきなさいと言うんです。
 北海道で何かあった時の医師、病院まで調べてくれてね。
 そして行ったんです。
 よかったなあ。最高だった。
 そして帰りの飛行機ではもう妻は水もとれない状況でした。それでも最後の旅行は、きっと思い出になったはずです。」

 2011年10月8日、西宮市アミティホールでNPO法人”アットホームホスピス”が企画した講演会「垣添忠生と妻を看取った8人の男達」が行われた。
 私もそのスタッフの一人として、企画段階から参加し、この日を迎えた。

 上記の記述は、その公演で話された内容の一部である。

 薬剤師にできる事はなんだろう。いやその前に人としてできる事とは…。

 その時ふと気付いた。いや、私にできる事がある。
 それは、それぞれの想いを言葉で残す事。

 どれだけ演者の想いを表現できたかは分からないが、記録として残しておく。

流動性の罠

 8月になって、米国信託保管銀行大手のバンク・オブ・ニューヨーク・メロン(BNYメロン)が、大口法人顧客に対して、預金手数料の徴収に踏み切った事をご存じだろうか。
 預金する事に手数料がかかるのである。
 「えー、なぜお金預けるのに手数料がかかるの?」
 と、思われるだろう。

 不況にあえぐ米国では、消費者・大口投資家・企業に新規投資をさせる為に金利を下げる。しかし、消費者も企業も、経済の弱体化を予想し、消費者が消費をせず、企業が投資を控える。
 金利が“ゼロ”に極めて近くなると、資金を現金で保有しようが、国債の様な利付投資で保有しようが、コストに違いはない。その上での国債に対する信用度が低下すれば、誰でも現金で持とうとする。
 かくして、中央銀行市中銀行に通貨を供給しても、もう金利は下がらないし、利息を生まない銀行準備金が増えるだけで、新たな融資・投資には資金が回らない。
 さらに米財務省証券(TB)が格付けで信用性が落ちた時、一気に押し寄せるであろう資金の流れを防ぐために、手数料徴収に踏み切ったのだ。

 こういった状況を英国経済学者:ケインズは、「流動性の罠」とよんだ。

 すでにこうした事態は1990年代末、わが国で発生しており、その状態から抜け出せずデフレが続いている。

 「流動性の罠」が発生すれば、二つの点で問題が発生する。
 一つは、投資をせず現金で資金を保有する事によって、経済が縮小する。
 もう一つは、中央銀行の金融政策の効力を無効にする。金利はゼロ以下には出来ない。紙幣を増刷して債券を買っても、利子を生まない銀行準備金が増えるだけになり、新規投資には資金がいかない。

 そう、デフレが続いていくのである。

 では逃れる術はあるのだろうか?
 一つは国による財政出動だろうし、後はドル安政策か、インフレ容認だろう。
 しかし、どれも簡単なものではない。

 「アメリカ経済の日本化」と呼ぶ人もいるが、本家の日本がどうするのか、震災復興特需を成長につなげる方策なしには、デフレ脱却は難しい。
 「ミクロの楽観、マクロの悲観」と呼ばれる我が国の現況は、現状では決して憂うるものではない。
 しかし円の独歩高が続き、増税策でも打ち出せば、必ず企業は海外に出る。
 そうすれば、雇用も、国内需要も必ず低下する。
 現実を考えれば、医療も漫然としている場合ではない。

 薬剤師もリアルの世界に目を向けなければならない

リタルダンド

リタルダンド
音楽用語で「だんだん遅く」という意味。

齢50を超え、再婚も果たしたばかりで、若年性アルツハイマーに罹った音楽雑誌編集長の主人公。
仕事のスケジュールを忘れ、地図が読めなくなるなど、少しずつ記憶が消えていく恐怖。
その主人公を支える妻、そして部下達。
せめて、その進行のスピードがあと少しだけゆっくりと、​あと少しだけ遅く、リタルダントでと願いを込めて…

薄れゆく記憶の中で、壊れてゆく暮らしの中で、支える人達の哀しみや苦しみが飽和点に達するその時、一筋の光が彼らの頭上に射しこむ。
シアターBLAVAにて、本日が東京・名古屋・大阪と続​いた舞台の千秋楽。

すすり泣く観客の嗚咽は、明日を信じる希望でもあった。

プライド

 東関東大震災によって、広範囲の地域で多くの人々が被災した。
 同時に、地震に起因する福島原発事故は、人々だけでなく、日本の経済、そして世界レベルでのエネルギー問題までにも多大な影響を与えた。

 今後日本は一時的に急激な景気悪化を招く。復興の為に必要な資金を考えると、政府がいかなる策を提示しても、効果を出すのには時間がかかるだろう。
 しかし、経済は既にグローバル化している。被災した日本を待つような国はない。
 日本の代わりは、既に中国、そしてインドがいる。

 世界レベルでの特許出願件数を見ると、2011年に中国は日本を抜いて世界一位になる事をご存じだろうか。
 http://j.people.com.cn/94475/7230813.html
 そして、知的所有権の保護も同様に急速に進み始めている。
 「あの、にせねずみランドの国が。」と言っている場合ではない。
 世界経済に参入することで、生き残る為には中国も“郷に従う”事を学んでいるのだ。

 経団連も政府も、いまだに日本は“アジアの盟主”といプライドを持ち続けている。
 中国などにGDPでは抜かれるが、知的技術ではまだまだ上にあると思っている。
 しかし、上記のように事実は既に事なっており、多くの投資家や知的エリートは、日本から中国・インドへのシフトを始めている。


 さて、薬剤師はどうだろうか。
 薬科大6年生や“三師会”という名前の上でプライドを持ち続けていないだろうか。
 現実に、地域包括ケア計画の中では、既に医師の代替は“看護師”となり、地域連携図の中に“薬局”“薬剤師”の名前さえない事に危機感を抱いて行動しているだろうか。

 日本経済においても、薬剤師業界においても、実は大事なのは現状認識であり、そしてそれを改善するためには元に戻すではなく、現在の地位から考える“逆転の発想”が必要なのだと考えるのだが、さてどうお考えだろうか。

ブラックスワンとべき分布

 大恐慌は、理論的には数万年に1回しか起こり得ないという。
 しかし、実際にはサブプライムが起こったように、数十年に一度起こっている。
 つまり、確率論や従来からの経験則で類推できる無いような事が実際には起こっており、それを総称して「ブラックスワン理論」という。

 科学者が想定する確率分布の中で、長きに亘って君臨してきたのは「正規分布」だ。
 これなら、平均と標準偏差で”想定外”のリスクを考える事は出来る。

 しかしこの世界に、果たして正規分布な現象が多数を占めるのだろうか。
 2010年10月に亡くなった、フラクタル幾何学創始者マンデルブロはそれに否を言い続けてきた。

 考えれば、例えばネット通販のアマゾン:ロングテールが示すように、実際の現象はパレート分布、つまり「べき分布」に伴う現象が多い。

 株価や為替レートの変動がべき分布に従うように、巨大地震津波もまた、べき分布に従うのである。

 東京電力の発表で、「想定外」という言葉が幾度も使われたが、べき分布から考えたリスク管理をすることで、簡単に乗り越えられる「想定外」のリスクは避けられるのではと思うだが、どうだろうか。

余命こそ人生の本番

 いくつかの理由がって、永らくブログを更新していなかった。
 ところが、最近ちょくちょく知人や患者さんからの「ブログ辞めたんですか?」という声を耳にする。
 こんな日記でも読んで下さる方がいる事が嬉しいものだ。
 幸い更新しなかったおかげで、ネタは沢山ある。そういう訳でブログを再開することにした。

 今日、神戸でスポーツファーマシストの講習会があった。
 同時に小さな町の片隅で、ALSの患者さんが自らの胃ろうを見せて、使用者としての声を挙げる小さな勉強会が催された。

 自分が社会の中でどう必要とされているのだろう。
 そう考えれば、どちらに行くかの答えは決まっていた。

 
 胃ろうの是非が、多くの医療者の中だけで議論されている。素人である患者が意見を語ろうとすると、「医学の専門家の視点が欠けている事で、その議論の価値自体が下がってしまう。」という意見さえ返ってくる。

 どうして胃ろうを使っている人の声に耳を傾けようとしないのだろうか。
 人のいのちは医学のものではないだろうに…

 
 ALS(筋委縮性側索硬化症)の余命は平均5年といわれれる。
 1997年に発病されたNさんは、2006年に2年間の熟慮の結果胃ろう増設を決断した。食べることへの執着・胃ろうへの不安を経て作った胃ろうは、今は増設して良かったと感じられている。

 医療の世界では、食事とは”栄養摂取”の意味だという。胃ろう手術後、ナースは「もう無理して食べる必要はありません。よかったですねえ。」と語ったという。

 勿論、胃ろうを作る患者の状態によってその意味も変わる。
 脳疾患や認知症など、意志を発する事の出来ない患者もいれば、こうして自分の意志を語れる患者もいる。

 食べる事は栄養摂取以上の意味を持つ。
 食べられないから胃ろうを作り、その患者を食事をとるという日常から切り離せば、気持ちまで病人になる。
 病人は治療だけを目的に生きているわけではなく、その時その時を豊かで満足のいくものにしたいと考えている。

 QOLの為に作った胃ろう。
 それ故、今は毎日が楽しいとNさんは語っていた。

 「いつか人工呼吸器を使うことになる。その後に見える新しい世界が待ち遠しい。」と彼はいう。

 「余命こそ人生の本番。」

 時に患者さんの言葉は、光のように心を突き抜ける。