睨みを利かすカレーパン

遡ること4日前の日曜日。
 その日、妻は所用で朝早くから外出。
 
 「確定申告書いといて。」
 の言葉に、二人分の申告書を食卓で作成していると、1時過ぎだろうか、娘が「よく寝た。」の声とともに起きてきた。
 「もう昼過ぎ。お昼ご飯用意せんと。」
 と話すと、
 「昨日の夕食の残りの餃子とエビチリを食べなあかん。」

 それではと、台所に置いてあったその残りを電子レンジにかけ、申告書類を脇にどけて、皿を置く。

 ゆっくりと食べ始めるが、20分経ってもエビチリが残り、終わる気配がない。

 私といえば、早く書類を書き上げ、美術展に行かねばならぬのに、一向に片付かぬ食卓に少し苛立つ。

 やおら、残っていたエビチリを餃子を食べる為に醤油を入れていた小皿に移し、食卓にスペースを作り、書類作成に勤しもうとすると、娘が目を三角にして睨みつけてくる。

 「何するんや!エビチリに醤油の味が移るやん!」
 「ちょっとぐらいかまへんやん。
 さっさと食べろや。何時間かかってんねん。かたづかへんやないか。」

 「横暴や!自分の皿ぐらい自分で洗うわ!」
 「自分の事ぐらい自分でするのは当たり前や。家族全員の為に、いつおまえが何をしてるねん。
 掃除も、洗濯も、何にもしてへんやん。
 横暴いうのは、おまえの事や!」

 口喧嘩の後は、娘は外出し、私は美術展に向かう。

 夕方、妻から電話が入る。
 娘が「おやじは横暴やから、一緒に夕食を食べる気にならん。」との事。
 ついては二人で外食してくるから、一人で食べといてという事だった。
 近くのスーパーで3割引きの弁当とビールを買い、家で食べ、それ以後はその日は娘と顔を合わさなかった。

 翌日も晩まで顔を合わさず、夕食も鍋だったが一緒に摂らず。
 
 火曜日の朝、一番先に起きる私が朝食のパンを食べようと漁っていると、昨日妻から言われたのか、娘が買ってきた菓子パンがある。
 そして、その中には私の好物のカレーパンが…

 ”誰がおまえの買ってきたパンなんぞ食べるか!”と残しておいたら、翌日にも残っている。
 それでも食べずに置いておいたカレーパンは、今日も私を睨みつける。

 たった一つのカレーパンが、万里の長城のように壁を作り、それを崩すのはなかなか容易ではない。

 睨み続けるカレーパンに向き合いながら、少し気弱になる自分がいる。

コンパッショネートユース(CU制度)

 重度の病気で他に治療法がない患者に対し、海外で承認されていて国内で未承認の医薬品を提供するする制度を「コンパッショネートユース」という。

 この制度は、アメリカ、ヨーロッパ(EU)等では既に導入されており、がんなどが進行し、新薬の審査・承認を待てない患者に投薬ができるようにすることを狙いとしてたもので、ドラッグラグへの解消策とも位置付けられる。

 しかし、従来こうした薬剤を使用する場合は、薬剤のみならず、検査や治療に必要な費用も全て自己負担になっていた。
 そこで、今回の場合は、この治療を受ける患者の経済的負担を軽減するため、保険診療保険外診療を併用する「混合診療」を新制度に一部適用することも検討されている。
 「混合診療」は、国内では原則禁止になっており、これが認められると、薬を買うことのできる裕福な人のみが、よりよい医療を受ける事が出来る事になりかねない。
 貧富の差が、医療の格差を生みだす事になるのなら、それは果たして許される行為なのだろうか。

 答えはどこにあるのだろう。

高齢者が住む家

tomoworkaholic2012-03-07

川に向かう坂の途中に、その住居はある。
大阪と神戸、その真ん中に位置するこの地に建てられた県営住宅は、築30年を超す。
復興を支え、戦後を支えた人達が住んだこの住宅も、いつしか齢を重ね、今は住人が大方70歳を超えた。
階段だけだったエントランスがいつしかユニバーサルデザインとなり、朝ともなればデイサービスのお迎えの車と、車椅子を押す職員で一杯となる。
育てた子供達がここを去り、いつしか高齢者だけが残った集合住宅。
核家族を経て掴んだ私たちの夢はこんなものだったのだろうか。

在宅医療と呼ばれる高齢者ケアを続ける間に見てきた現実。

そんな現実を暫し書き続けることで、未来をより良きものにする術を考えてみたい。

映画「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」


 広汎性発達障害の為、高度な知能を持つが、人とのコミュニケーションがうまくとれず、奇異な行動をとる11歳の少年オスカー(トーマス・ホーン)。

 少年の父(トム・ハンクス)は、その障害も含めて息子の全てを受け入れ、理解し育てようと努力する。

 そんな二人の温かい関係も、あの9・11により引き裂かれる。
 あの日、父は貿易センタービルで人と会っているその時、テロは起こってしまった。

 唯一の理解者である父が死んでしまったという圧倒的喪失感。
 その悲しみに1年間オスカーは何もできなかった。

 1年を過ぎたある日、運命の日以来初めて父の書斎に入ると、そこで見つけた、”ブラック”という名前が書かれた紙と一本の鍵。

 その鍵が自分に宛てた父のメッセージと信じて、ニューヨークに住む426人のブラックさんに会おうとするオスカー。

 人としゃべるのがつらいという障害を乗り越え、巡りあった一人の老人(名優マックス・フォン・シドー)と共に、鍵に合う鍵穴を探し続ける。

 そしてついに見つけた鍵穴の先に何が待つのか…


 泣き叫ぶほどの独りきりの哀しみ。
 そして、隠し続けなければならなかった少年の心の傷。
 話し語り終わった後に少年を待つ、圧倒的な”優しさ”に触れた時、観客は涙を禁じえない。

 2月18日公開、ワーナーブラザーズ配給。

 主人公オスカー役のトーマス・ホーンが素晴らしい!
 そして、脇を固めるトム・ハンクスサンドラ・ブロック、名優マックス・フォン・シドーの演技も見事だった。
  

映画「50/50」


 2011年12月初旬、前立腺がんの転移により一人の男性患者が亡くなられた。
 彼が気付いた時には、既に前立腺がんは骨にまで転移していた。
 そして彼はリビングウィルを書き、何も治療をせず生きていく事を選んだ。
 妻も、その子供たちも、その考えを尊重し、家族一緒に彼を支え続けた。

 痛みはさほどの事はなかった。
 緩和医療で使う麻薬さえ、ほとんど必要なかった。
 しかし、次第に食べられなくなった。
 時に輸血をしながら、少しずつ体力は衰えていった。

 最期は家族に向けてこう言ったという。
 「ああ、本当に疲れました。皆さん、先に逝かせて貰います。」と…


 ガンを自宅で迎える最期がそうであっても、実は元気な間はガン患者の生活は普通だ。


 私の友人は、大腸がん転移のステージ4にある。
 抗がん治療も副作用で昨年10月頃止めた。
 そのおかげで、髪の毛もしっかり生え始め、皮膚炎も治り、きれいな肌に変わった。
 「いたって快調だよ。マーカーの値は右肩上がりだけど。」
 笑いながら彼は言う。


 働く薬剤師にもガン治療中の者がいる。
 手術をし、今は化学療法を行っている。
 化学療法後の1週間は辛くて立っていられない。
 しかし、それ以外はいたって元気。
 スタッフも支えながら、薬局で働いている。


 映画「50/50」は、まさにそんな映画。
 5年生存率50%を、ギャンブルのかけ率から考えると、とてもラッキー等とジョークを飛ばしながら、コメディタッチでガン患者の”生きる”を描く。
 化学治療中のガン患者の友の死、”なぜ自分が”との怒り。
 それらを乗り越え、主人公は生きていく。

 煩わしかった母の行動、親友のガンをジョークにする態度。
 しかし、それらの中に、どれほど自分を思いやる心があるか。
 人はそうして人として大きくなり、優しくなる。


 こう言った映画ができてきた事が、今の世の中の救いなのかもしれないとふと思う。

プロボノ活動

 2011年12月11日午前10時。
 大阪地下鉄本町駅の西隣、阿波座駅を降りて数分歩いた裏通りに目指すビルがあった。
 1回はビルの車庫。階段を上がった2階に、一つのフロアを複数の企業が共有するスペースがある。
 ここで行われる説明会を聞く事が、私のその日の目的だった。

 「おはようございます。日曜日の朝早くからご苦労様です。」

 迎えてくれたのが、特定非営利法人「サービスグラント」のスタッフの方。
      http://servicegrant.or.jp/
 早めにやってきた私の後から、数名の若者が訪れてくる。
 業種たるや、プラント設計の技術者もいれば、農業活動を行うもの、ウェブデザイナー、アートディレクターなど多種多様だ。
 何をしようとしているのか、何の為に集まってきているのか。
  
 「プロボノ」という言葉をご存じだろうか。
 ”公益善の為に”と訳されるこのラテン語を使ったプロボノ活動は、社会の公益の為に自分たちの専門的知識・スキルを使ってボランティアを行う事を意味する。
 例えば、2006年にノーベル平和賞を得た、ムハマド・ユヌス氏率いるバングラディシュ:グラミン銀行などは、マイクロファイナンスという手法を利用して貧しい民に無担保で融資を行い、彼らの活動を支えている。東日本大震災後、企業を通じて復興支援を行う多くの人々がいる。
 これらがまさにプロボノ活動の一つであり、このサービスグラントも、各NPOのHPやウェブデザインの作成を通じてプロボノ活動を展開するNPOなのである。
 しかし、HPを作るにしても各NPOの目指すものを理解するためには、多くの異なる専門知識が必要となる。表現はデザイナーが行っても、コンセプト作りには専門知識が必要となるのである。
 自分達の知識を社会に生かしたい、そう願う人達がここに集って、自分達の時間をボランティアに充てる、そういう支援の在り方が今社会にでき始めている。

 支援が必要な人々はこの社会には沢山いる。
 できる事から一歩ずつ始める事こそ、社会をより良いものする大事な一歩なのだと思う。

映画「エンディングノート」

 人は古より不老不死を請い願う。
 紐解かれる歴史の中に、いかに人がこの事に情熱を費やしたかを見る事が出来る。

 しかし、決して変わらぬ事実がある。
 人は必ず死ぬのである。

 映画の冒頭、主人公の葬式が始まる。
 四谷イグナチオ教会。
 行われている葬式の後ろに流れる声は、主人公の実際の娘である監督が、本人になり代わって語る心の声である。

 「エンディングノート」とは、法的な力を持つ遺書(ウィル)とは別で、家族に対してしたためた覚書の様なものを意味する。
 しかし映画は、ことさらこのタイトルの「エンディングノート」を描こうとはしない。
 小さい時から映像で記録する事に興味を抱いた監督が撮り貯めた、家族のホームビデオ。
 映画は、このホームビデオの中から主人公である父の記録を取りだし、一人の男の歴史を死ぬまで、いや死後の葬式までドキュメンタリーとして著すことで、彼が残した覚書を観客に示す。

 “死”にまつわる哀しみや尊さを描き、圧倒的表現で感動を与える映画は多い。
 しかし、実際には死のその日まで、毎日は何事もないかのように淡々と過ぎていく。
 しかしその毎日を普通に暮らす事に、死を家族と共有して悩み、語り合いながら生きていく事に、物語にもならないような日常に、どれだけ価値があるのかを映画は静かに語りかける。

 死は必ずやってくる。誰にも等しくやってくる。
 そして愛する人々との別れがそこでは待っている。

 しかし残された者たちがどれだけ故人に思いを馳せるかで人は生き続ける。
 共に生き、一緒に作り上げた暮らしがあれば、人は死なない。
 逝った人を思い続ける限り、人は決して死にはしない。

 きっとこの主人公は、家族一人一人の中で生き続け、語り続けてくれるように思った。

 エンディングで流れるハナレグミの「天国さん」。名曲です。

(彼は死ぬ二日前に、仏教徒を止めカトリックの洗礼を受けました。なぜって?それは映画を見てのお楽しみ…)